自信をなくしました

加藤咲季です。

 

昨日のメルマガでは、私が着付けに目覚めたきっかけから着付師になったところまでをお話ししました。

今日は後編ということで、ご飯を食べれなかった貧乏着付師時代から今に至るまでをご紹介します。

 

スタイリストの従姉妹の紹介で芸能関係の着付師として活動し始めたのが、22歳くらいです。

(現場に行く度に「若いね!」って言われてました)

 

確かに、誰もが知ってる有名芸能人の着付けも担当しましたし、一見煌びやかに見える経歴ですが仕事の数としては全然少なくてアルバイトを掛け持ちしていました。

 

「やっぱり季節商売の着付師じゃ稼げないな」

と思い、始めようと思ったのが着付けの先生です。

 

とりあえず自分で着られるようになろうと近所の着付け教室に通いまして、初級コースだけ受けました。

 

その後、その先生が資格を取ったお教室に通い、講師養成講座を受講して資格を取ったんです。

だいぶ短いルートですよね。

 

私にとって着付けの資格って、あくまで教室を開くための手段だったので

”資格を取ること”にはあんまり興味がなかったんですよね。

 

そんなこんなでサクッと資格をゲットして24歳で自宅教室を開きました。

(正確には23歳から少しずつ始めてます)

 

実家の部屋を1室もらって意気揚々と開業しました。

 

「こんな若い先生なんて他にいないし、着付けの腕にも自信はある!もしかしたら人気出ちゃうかな〜!」

なんて思っていたところ、全然生徒さんが集まらず開業から1年経っても月0〜3人くらいかな?って感じでした。

 

うちは駅から徒歩20分ほどだったので、迷子者が続出するし文句言われるし、なんだか申し訳なくて思い切って集客もできない。

 

お金をいただくことに抵抗があり数千円で教えていました。

当然収入は地獄みたいな数字で月の平均収入は1.5万円くらいでしたね。

 

 

でも、何もやってなかった訳じゃないんですよ。

 

パソコンができないなりに泣きながらホームページを作ったり

チラシを自分で印刷して近所に撒いたり

口コミしてもらった人へ割引券を配ったり

思い切って駅近のアパートを借りたり
(ターミナル駅に近いけど目の前が線路で隣がお墓でしたw)

 

考えつくことはやっていました。

 

↑当時の教室

 

 

それでも結局、アルバイトを辞められないまま5年が過ぎましたね。

 

 

20代も後半になると、周りの友人は結婚したり出産したり、昇進したり転職したりなんだか充実してるのに

自分だけいつまでもバイトで生計を立てている。

 

バイトでも周りは大学生ばかりでお局みたいな立ち位置になってしまい、

「私何やってるんだろう…」

って毎日思ってました。

 

「着付けの先生です!」

って言うのももはや恥ずかしいし数少ない生徒さんにバイトをしてることがバレるのも本当に嫌でした。

 

親や兄弟にも「就職したら?」と言われました。

 

当時、遠距離で付き合っている人がいたので結婚して田舎に引っ越そうかとも考えました。

 

 

 

でも、

 

 

でもなんか

 

 

 

 

このまま流されてしまったら

 

 

何も成さないまま

何も残さないまま

 

この人生が終わる気がしたんですよね。

 

 

 

もちろん、主婦やったって就職したって立派な人生ですよ。

 

 

でも、私はね、自分で選んだ道を

「できませんでした」

で終わらせたくなかったんです。

 

 

「できなかった」と言い切るにはまだ何も努力してないじゃん。

 

成功もしてないけど「失敗」もしてない。

 

 

つまり何にもしてないじゃん!

 

 

 

1回本気で向き合って全力でやってみよう!

 

失敗したらその時考えよう!

 

 

そう思いました。

 

 

 

正直、半分ヤケになってましたよ。w

 

 

でも、不思議なもので自分の意識が変わったら自然とご縁が繋がっていったんですよね。

 

これまでの私は「できてない」と思われるのが嫌で

「こういうことをやりたい!」

って名言してこなかったんですね。

 

 

まぁプライドだけ高かった訳です。

 

 

でも、

「もっと教室を大きくしたい!」

「もっと生徒さんを集めたい!」

「ちゃんとご飯が食べれるようになりたい!」

「自由に使えるお金が欲しい!」

と、やりたいことを素直に話したら色んな人が様々な情報をくれて導かれるように今の道に進んでいました。

 

 

それが

「オンラインでお教室を開くこと」

 

 

当時は他にオンラインでやってる人もおらずどうしたら良いのか本当に手探りでした。

 

試行錯誤をしまくって、ついに「オンライン教室が軌道に乗るか!?」というタイミングでコロナが襲来。

 

他のお教室がどんどん廃業する中私のオンライン教室は業績を伸ばしていきました。

 

講座の数もどんどん増え、

資格をいくつか取ったり

一般社団法人を立ち上げて資格の発行をしたり

アパレルブランドを立ち上げたり、

経営者としても幅広く活動させていただいてます。

 

 

本当に、あの時本気出してなかったらコロナ禍は乗り越えられなかったですね。

 

確実に廃業してたし、飲食のバイトもできなくて収入がなくなっていたと思います。

(30代にして母親のすねかじりしてたかも。怖)

 

 

はい、そんなこんなで今に至ります。

 

 

ここまで聞いて、もしかしたら

「オンライン教室をすれば良いんだ!」

って思った方もいるかもしれないのですが、ただ表面的にオンライン教室を作っただけでは絶対に成功しません。

 

これは断言します。

 

コロナを経てオンラインレッスンって色んなところで増えてますが、

ただオンラインにしただけの教室は軒並み失速しています。

 

 

じゃあどうすれば良いのか?

こちらの講義でお話ししています↓

 

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「日本文化を次世代に繋げるオンライン活用法」

 

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※日本文化系の活動をされているプロ向けの講義動画です。

趣味でやってるという方はご遠慮ください。

 

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追伸:

 

”何も残さないままこの人生が終わる気がした”

のには理由がありまして。

 

この頃、バイト仲間で3歳下の後輩を病気で亡くしたんですよね。

まだ20代前半です。

 

でも、亡くなる前には病気と戦う子供たちのために色んなボランティアを積極的にやっていたそうです。

 

そんな彼を尊敬しているし、彼のために何もできなかった自分を今でも後悔しています。

 

同時に、自分にすら向き合わずいろんなことから逃げていた自分が非常に恥ずかしく感じました。

 

自分にしかできない自分らしい爪痕を残そうと、そう思いましたね。

自己満だけど、それで良いんですよね。